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2009年 03月 22日

『陰翳礼讃』に習う

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「陰翳礼讃」を久々にとりだして読んでいる。
谷崎潤一郎が日本の美、とりわけ陰翳について考察した名随筆。

日本人は曇った金属の、鈍い色や質感を好み
闇の中に溶け込んでいくような深い色合いに美を見いだしてきた。
漆器、床の間、蝋燭の光、障子、食べ物‥…。
話は日本女性の肌やお歯黒に至るまで幅広い。
それを西洋との比較や具体的な事例を挙げて、分かり易く書かれている。

例えばこれは羊羹に関するくだり。

だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。

これを読んで、急に羊羹が食べたくなった。
(単純過ぎだろうか)
この本のなかで、最近は電灯が煌煌とついていて日本らしい風情が失われている、と
谷崎潤一郎は嘆いているが、これが書かれたのは昭和8年。
まだ今よりずっと暗かった時代。
昼も夜も分からなくなった日本の夜の明るさを
草葉の影でどう思っているのだろう。

試しに蝋燭の灯りで本を読んでみる。
初めは薄暗く読みづらく感じたが、目が慣れてくるとハッキリ見え
長く読んでも目が疲れにくいように感じる。
朝の目覚めもよい。
電灯もつけられず昔の人はさぞかし不便だっただろうと信じきっていたが
今の日本人とは違う色合いを見て過ごし、それなりに豊かに暮らしてきたことが
この試みで少し垣間見えるように思う。
煌煌とつく電灯の灯りは単調で、何処までも明るく部屋を照らし
深い漆器の色合いも、透けるような羊羹の色の快さも失ってしまった。
文明を後戻りすることなど叶わぬ事で、これは愚痴のようなものと
著者は書いているが、この快さを今の文明の中に取り入れる事が
本当の進化のように、私は感じる。

まずは無駄な灯りを消し、いけばなに陰翳を登場させる。
これが私の命題。
まず、電灯好きの夫と戦わねば‥…。
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by primenumber2 | 2009-03-22 17:30 | 美術


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