晴耕雨読 雨のわブログ

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2016年 07月 01日

人は生けたら上品になるのか


最近、稽古関連のことはインスタグラムに任せたので
ブログはもう少し踏み込んだことを書くことにした。

いけばなの教室をやりたいという人が時々現れる。
そういう人はいけばなの先生をどう捉えているのだろう。
以前から、機会あるごとに人に尋ねた答えはこんな感じだった。
あれこれ人に言ってお代をいただく仕事
特別な才能がある人のやること
あれは仕事ではなく趣味という人もあるし、主婦の人が空いた時間でしているイメージという人も。

私はどうか、というと全ての人のイメージは
それなりに正解だろうと思う。
教える場所を持つことは自分の成長(鍛錬)のためにあるので色んな人が居て良い、とも思う。
教室では、まだ始めて間もない人の手の不自由なのを助け、生けたいものを形にする手伝いをする、いけばなの見所がわかるように働きかけることが私のメインの役割だという認識いう認識。

だけど、ひとつだけ相容れない価値観がある。
それは自分を上品に見せるため古風に見せるために
習いに来る人、先生になりたい人がある。

そういう人は人にあれこれ言いたがる。
ああでないといけないが多くなる。

私は、稽古は「ああでなければいけない」を失くすことだと思う。そうした方が良いという、先人の知恵に習うと感性は磨かれていく。磨かれるように精進する時間は人に品性を与え、生ける花に品格が備わるのではないかと思う。

花を習えば上品になるわけではなく、品格のある人の花には品性を感じるものなのではないのか。
花はいけたら人になる、という言葉を私は信じる。

















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by primenumber2 | 2016-07-01 14:40


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