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2016年 09月 04日

リオオリンピックの花束

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今年のオリンピックはメダルラッシュ。
普段スポーツに関心のない人々もテレビ観戦に興じたりネット速報を心待ちにしたり、まさに祭典らしい華やいだ数日間。
オリンピックの起源は起源前9世紀、ギリシャを中心とするヘレニズム文化圏の宗教的な行事であった。ギリシャ神を崇め競技を行って奉納する。日本の相撲のようなものか。競技が行われる前後3ヶ月間は休戦の取り決めがあるほど人々にとって重要かつ神聖な行事だったことが窺える。

リオでは表彰台に登る選手への花束贈呈がなくなり3Dプリンターで製作されたオブジェが進呈された。神事を起源とするオリンピックで花束が省略されることは大変な事だ。
卓球日本代表の表彰時に私はこの事にふと気がついた。花が介在する物事には神聖が宿る。努力と才覚で勝ち取った勝利を聖なる神に捧げる、それがオリンピック勝者ではないのか。厳密には手渡される花束は勝利者への贈り物ではなく選手に宿る神性に対してか、勝利者が花束を受け取ってそれを高く掲げる。そうする仕草は神に捧げものをすることを連想させる。宗教的なことはこの点では割愛するが、勝利者が花束を掲げて行う仕草は感謝や祈りを思わせ人を和ませる。
花束をやめることを提案したのはリオ五輪のエグゼクティブプロデューサーであった。廃止の理由はエコでない事。表彰台に上がった後多くの選手が花束を持ち帰らず捨てて帰ることを理由に挙げている。
見えないものを信じ、今の自分があることを自力のみと考えるのでなく与えられものとして感謝して生きることの難しい世の中だと感じる。
花を扱う人々を通してしか見えないものがある。

次回のオリンピックでは花束が復活する事を切に願う。
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先日書道の先生の個展に出掛けた際に作ったブーケ。竹の皮と半紙を挟んで書道をイメージ。
リボンの代わりには水引を利用し来年はスイスで個展をされる先生にスイスっぽいアゲラタムを束ねた。






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by primenumber2 | 2016-09-04 10:36


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